「海の日」に想う ― 石と船がつないだ江戸の記憶

こんにちは。宮城県加美郡加美町のさいとう⽯材店です。
6月・7月は祝日が少ない時期ですが、7月には「海の日」がありますね。この「海の日」の由来をご存 じでしょうか?
明治時代初期、西洋式の造船技術がまだ普及しておらず、当時は「船は危険な乗り物」と考えられてい ました。そんな中、明治9年(1876年)7月20日、明治天皇が東北・北海道を巡幸された際、灯台巡視船 『明治丸』で無事に横浜へ帰港されたことが、「海の日」の由来となっています。
現在、『明治丸』は東京海洋大学の構内に保存されており、重要文化財に指定されています。船内の見 学も可能で、19世紀後半の造船技術を間近に見ることができます。

さて、海と深い関係があるのは船だけではありません。実は「石」も、昔から海や船と深いかかわりが あります。
たとえば、『江戸築城と伊豆石』(江戸遺跡研究会編・吉川弘文館)という本には、江戸城の石垣に使 われた「伊豆石」と呼ばれる凝灰岩について書かれています。この石は、真鶴岬や伊豆半島から切り出 され、船で江戸まで運ばれました。1つの石の重さはおよそ1トン、大きいものでは5トンにもなったそ うです。

これらの石は、加工された後「石船」と呼ばれる帆船に積み込まれました。風の力で進むこの帆船は、 最盛期には3,000艘もが伊豆半島と江戸を往復していたと伝えられています。その様子を想像すると、 まさに壮観な光景だったことでしょう。
しかし、当時の船旅は安全とは言えず、三浦半島沿岸などでは、海難事故によって沈んだ船の積荷だっ た石が今も残っているそうです。

木造の帆船が風任せで進んでいた時代から、現代ではエンジンで動く巨大な貨物船が活躍しています。 そして、国内はもちろん、世界中から石が船に積まれ、海を渡って運ばれています。
普段目にする石も、実は遠く外国からやって来たものかもしれません。たまには、「この石、どこから 来たんだろう?」と調べてみるのも楽しいかもしれませんね。

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